猟銃を手放す。

色々書きこんでたのでトリミング済み
しばらくぶりのDです。
数年前の最後の私のブログは記事の内容が失われています。
わな猟と銃猟免許取りましたよ、という記事でした。銃はエアじゃない方です。
『それを手放しました』というのが今回のサブジェクトです。
ちなみになぜその記事が空っぽなのかといいますと。
なんですか。
操作ミスで消してしまったらしいですよ?
私はもうショックで。
休日をつぶして書いた記事なのにクキィ!
と、一心不乱に猛る状態から一〇八歩くらい手前の心理状態になりまして。
三日三晩、モヤモヤで夜は眠りながらよだれで枕を濡らしご飯なんて三食でしたよ。
過ぎたことなんぞよりも日々の食事という煩悩の方がはるかに重要だという話です。
……今確認したら投稿自体なかったことにされてるようだ。ひどいな。
閑話休題。
勉強の事でも記します。
しばらく前に10年以上学習が進んでいなかったものを、必要に迫られて学習する機会に恵まれました。
2週間の特急学習のためきれいな設計を起こすにはまだ知識が不足していますが、必要な回しは頭に入ったかなと思っています。
今回、「意欲と切っ掛けは重要だ」と感じました。
というのも、基本的に私は学習についてはかなり意欲豊富な方です。
それが10年も進まなかったのは、単純に、いろいろなものに興味がある結果優先度が低かったからでした。
学習意欲があることは決して悪いことではないはずですが、何か一つに集中しろ、という話ですね。
私の場合、必要に迫られるとほかを振り切ってそちらに集中するので、いいきっかけになりました。
一度きっかけを逃すと、ほかの興味深いことが来たときに手が出なくなり、時間が有限であるということをまざまざと知ることになり、焦ります。
一方、どうしても意欲の沸かない分野というものがあります。
例えば開発言語が各種ありますが、いわゆる言語間での優劣を競うような会話がちらほら繰り広げられます。
個人的に、今の高級言語にはライブラリに特徴こそあれ互いにできないことなどそんなにないと考えています。
ではなぜ自分の扱わない言語を貶めるようなことがあるのかと考えた時、私は「自分の学んできた文法(仕様)ではないから受け付けられないのではないか」と考えます。
私も得意とする言語とよくわからない言語があります。
ですが、先の考えから、「この言語を扱う人は、きっと自分とは違うロジックで物をイメージする力がある」と考えるようにしています。
そうするとあら不思議、自分の扱わない言語を使う人は、自分の持たない思考や手順での解決を知っている技術者、とみることができます。
ぜひとも学ばせてもらわねばなりません。
言語を知ることには興味は持てないかもしれませんが、「その思考方法」を足掛かりに新たな知識を得る可能性は見過ごせません。
自分の知らないことは、気づいていないだけでそこかしこにあります。
銃猟免許もそんな勢いでとりました。
学習意欲は今の趣味や仕事の壁など軽く超えます。
おしくも手放すことになりましたが、いい経験になりました。
そんなこんなの学習意欲のきっかけを一言で表すならば、私の場合こんな感じです。
すなわち、
「自分の無知を自覚する」。
これからも日々学習です。
最近はヘッドセット買ったので『VR動画とろうか、ゐやOpenVR使ってみやうか』という感じです。
投稿写真は、ちまちまと撮影している魚眼レンズの短時間バルブ(連写)です。
広いっていいですね。