コロナ禍に思うこと

コロナ禍も終息を見せ、落ち着いてきました。まだまだ第2波や第3波への警戒が必要ですが。

今回のことで、今まで不要だと思っていたものやことが実は必要であったり、必要だと思い込んでいたことが実は不要だと判ったりしたことが多々あると感じます。

必要だったものはゆとりや余裕です。
病院の病床数など医療費削減のあおりを受け「冗長」の言葉のもと「無駄」として切り捨てられてきたものが、いざというときに必要な重要なバッファであったとわかります。環境に適応しすぎた進化や最適化は絶滅への入り口なのかもしれません。
あるいは不要不急とされたスポーツや音楽などの文化。なるほど、必要度や優先度は低いかもしれませんが、それなしの生活はあじけないものです。その不要不急で飯を食っている人々がいることも忘れてはいけないと思います。

不要の際たるものは通勤です。
通勤に1日1時間も2時間もかかる人は特にそうでしょう。テレワークやリモートワークは掛け声だけは前からありますが、IT業界は比較的進んでいた方でしょうが、新しいものを欲しがるくせに実績重視の日本企業では普及していませんでした。今回強制的に行われたことで、主に会社側の利益(出張や通勤手当の削減、オフィス縮小などによる経費削減)が判ったことで、このコロナ騒動が終わっても継続する企業は結構あると見ます。もっともテレワーク可能な職は、いずれAIなどに代替される運命にある気はしますが。

今回の騒動でいろいろ考えることがありました。それこそが実は一番必要なことだったのかもしれません。

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