助走をつけて羅刹を張り倒した後にダンスするような感じ。
おつかれさまです。
コロナ大変ですね。私は無事一度もかかってませんが、不健康な生活で困ってる昨今です。
技術の会社なので技術の話でもそろそろした方がいいのかな、と思ったのですが。
数年間どこにも掲載がなく寝かせていたネタが、去年の間にwebに登場してしまいました。
そういうわけで、私の持つネタは今あまりありません。
せいぜい絶賛AI勉強中というくらいです。
このように特にネタもないので、仕事するうえで、対自分において普段意識している事をいくつか掲載します。
ごくごく当たり前のことですが、自己点検のための資料として。
(1)言葉の統一
IT技術者はすぐに独自の言葉を使う癖みたいなものがあると思っています。
必要に迫られてという面もあると思いますが、共通認識に至る説明の有無は重要だと考えます。
この辺があいまいな場合、聞き手によっては認識がずれ、重要な見落としにつながりかねません。
また、同じ事物を多数の表現で言い表すと、それだけで話の関連性が見えづらくなることもあります。
そのためには同じ事物は必ず同じ言葉で表現する、ということが重要であると考えます。
(2)自分を疑う
頭で考えているだけの最中、人は自分が考える理想的な状況・範囲以外のことは見えません。
それをそのまま資料化、製造すると、大抵穴があります。現実はキビシイです。
このために設計・計画を何度も見直すという作業をします。
それでもバグは見つかりますし不具合は出てきます。
つまり、どれだけ自分に対して悪意ある疑問を投げつけられるか、という話。
【羅漢に遭うては羅漢を〇せ】
ではありませんが、疑うということの意義を悩むことなく躊躇なしに実践することが、無意識の自己擁護を突破するために最も有効な手段だと思います。
「ごみを入れたらごみが出る」とはよく言いますが、出るにしても「流出」という最悪の事態は避けなければなりません。
もっとも、これをシリアスに実践すると、尋常でないほど考える事物が増えます。
そこでよく耳にする一言、すなわち、
【考えるよりも手を動かせ】。
○○の考え休むに似たり。至言です。
手を動かしながら自分の甘い思考を助走つけてぶっ飛ばす感じで過ごすよう心がけています。
(3)無知を自覚する
昔掲載したかもしれませんが、私は無知を恥とは思っていません。
すべてを知ることなどいくら時間があっても足りないから、という理由と、何事にも最初がある、というのが理由です。
それぞれの経験の違いであって知識はその領域の違いでしかない、とも思っています。
いずれにせよ、自分の無知を肯定できなければ学習は始まりません。
しかし一方で、不足について恥を感じることもまた重要だと思います。
今いる場所で戦える知識は重要で、恥を自覚しなければ改善を図るという意思につながらないためです。
これは、実際のところ自分が冷静でいるための方便としても使っています。
焦りは視野を狭くするためです。
まとめ
要約しますと、「自分をどこまで他人事のように分解していけるか」というアタリでしょうか。
文章を見直すと「実践できてない部分もあるなあ」と感じます。
そのようなことを思いつつ今日も今日とて自分の出した案を全否定する別案をひねり出しながら、そこそこ楽しく過ごしているという報告です。
>余談、日常の話。
VRヘッドセットを入手して2年。
その他のトラッキングデバイスを購入したいのですが、常に売り切れています。
知り合いの範囲ではVR機器を持っている人は1割すらいないのですが、世界で見ると結構持ってる人がいるってことなんでしょうね。
他。
ドローン買おうかなと思っていましたが、今年の末に免許制になるとのことで。
これがひどく高額になるようなので見送りです。
銃猟免許の、受験料が安いことを思うとちょっと違和感がありますが。
これに加えて保険まで銃猟免許とはいかないまでも高額だとしたら、運用できる人いなくなりそうです。
せっかく新たな技術の社会への導入だというのに、すンごい冷や水になりそうな印象。
いずれにしましても、某360度アクションカメラを持っているで、早めに買っていたら空撮できたのになぁと後悔中です。
OpenXRの勉強の足掛かりを探しつつ。