青二才と社交性

幼いときは、自己分析系のハナシが苦手でした。
 
今更ながら振り返ってみると
「人から悪く思われない」立居振る舞いを、
学校などの友人関係や地域社会という
コミュニティの中で行っていた(のではないか?と思っている)為、
そんな自分から目を背けたかったのかもしれないです。
 
進学先の進路を決める段階でも、
「自分が何になりたいか?」などを真面目に考えることなく、
世間体がよく思われるような道や、
人から「なぜ(わざわざ)そうしたの?」と
聞かれないような道を選んでいました。
 
そんな自分の価値観やモノの考え方を根底から覆されたのが、
大学時代の学生生活およびアルバイトのさまざまな経験でした。
人に揉まれたというか、人間関係の機微を学んだというか・・・
このときの話は長くなってしまうため、今回は割愛いたしますが、
今までは、何事も斜に構えていた自分が
事に当たっては純粋に物事を捉える自分に変わっていました。
 
しかし、良くも悪くも
物事を純化して突き詰めて考える自分も育っていたため、
昔の表現で言うと書生気質が先立って、
現実を直視できない(・・・結局成長していない)ところがあり、
まだまだいわゆる大人にはなれませんでした。
 
月並みな言葉ではありますが、
社会人になり、自分自身の時間の大切さや、
パートナーを得て子も生まれ、家族と過ごす大切さを感じ、
「今をどう過ごすべきか?」ということを考え出してから、
突き詰めて考えることも悪くはないし、
純粋に物事を捉えることも悪くないし、
バランスが肝要だなぁ、ということが分かってきた気がします。
 
諸先輩方にはまだまだ及びませんし、
今もってしても、まだまだ何も分かってはいないかもしれませんが、
一つだけ言えることは、自分自身の考え方のみに固執してしまって、
「人から言われたことをとりあえずやってみよう」とトライしてみたり、
「自分の作ったテリトリーを抜け出してみよう」と思わない限り、
新しい感動や喜びは得られないのだろうなということだと思っています。
 
生ぬるい言葉のオンパレードだし、何が言いたいかよくわからない
ちっとも面白い内容ではないですが、
生まれながらの平等、みな同質なんてありえないのだから、
自分の殻に閉じこもらずに、自らの手で色々とつかもうと、
社交性を意識していったことが
今自分が良かったと思うことにつながっていると感じた初冬の候です。
 

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