CQゴドー応答せよ。

一年経つのは早いものです。
伊耶那美と伊耶那岐が追いかけっこしていたのはほんの少し前だと思ってたんですが気付けば2700うん年ですよ。
早いですね。
いや私はそんな昔にゃ居ませんけど。
 
Dです。あいも変わらず乱文なので斜め読みをお願いします。
 
2015年は一年通して腐ったドリアか、よく言っても香の無いヌワラエリアみたいな年だったので何も思い出したくもないのですが。
特に年末は一ヶ月かけて色々疲れる事が多かったのです。
毎週、呪われているような出来事が続発したといいますか。
思いだしたくないので記しはしません。
学生時代、知らない古本屋の店主から「何か訓練して憑けてます?」とか言われた事もありますよ、ええ。
同級生から「近くにいるとなんか空気が違う感じがする」なんて言われましたよ、ええ!
私は結構げんを担ぐ人間です。数年振りにそんな言葉に似た事を言われて愕然としています。
そのような理由によりそれらに触れて変なモノを呼び込みたくないので、さらりとどうでもいい内容でお送りします。
 
2015年は結構電子書籍を買いました。
本や音楽のCDが大量にありまして棚が足りないのですね。
そのような理由から今年の中頃から本を処分して電子書籍で再購入しています。
 
知らない人がいない文学作品だけではないのですが、超有名どころ150冊くらいです、お金が飛びました。
サイエンス・フィクションとディストピア系、及び推理ものがちらほらという感じです。
誰でも知っているような書籍ばかりなのでタイトルや内容については省略。
 
しかし、困った事が二つあります。
ひとつ、古い作品の多くは電子書籍化が成されていません。
本棚は未だ収容能力の限界を訴えており、片付くのは暫く先になりそうです。
今一つは、現物がないのでスペースには優しいのですが、一方でページをめくるという醍醐味がなくなった事です。
知り合いの茶道の師範曰く「電子書籍は邪道、本は実物があって手に持って読んでこそ意味がある」とのことで、私も賛成なのですが、居住スペースという解決し難い問題は無視できませんでした。
『両方立てれば身が立たぬ』の実践かと。
 
ままならないものです。お金って大切ですね。切ないですね。切がないですね。
人は悲しいナマモノなんていう台詞が出そうですね。
そりゃ伊耶那岐も逃げますよ相手腐ってるんですから。
悲しいナマモノじゃない相手は人間ではないのです、この台詞を使う時は。
でも相手神様でしたねこの話。じゃあどうなんだ伊耶那岐。まあいいか。
 
しかし、こういうナマモノだとか戯けた事を考えていくと、そもそもこの買い物事態浪費ではあるまいかという根源的な話に繋がってしまいます。余り役立てられていないので。
不条理劇「ゴドーを待ちながら」にカフカ「城」の「K」が登場しても同じ話にしかならないだろうという虚無感でしょうか。いや、Kなら行動するかもしれませんが。
とりあえず、2016年はもう少し身辺整理が出来、且つ何か意味のある買い物をしようと思いました。
 
成せるか否かは解りませんが。

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